【はじめに】
この記事では、冬の天文の季語として掲載されていることもある「スモッグ(Smog)」について、Wikipediaの記載や俳句歳時記における立ち位置などを交えながら解説していきます。作句する際の有効そうなパターンも考えましたのでぜひ参考にしてください。
ウィキペディアで学ぶ「スモッグ」
先に(一句一遊でいうところの)「月曜日」のネタを潰してしまいますが(^^; 幼稚園や保育園などで着用される衣服は「スモック(Smock)」だそうなので混同されませんように。
この項目では、大気汚染のスモッグについて説明しています。衣服については「スモック」をご覧ください。
スモッグ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
濁る方の「スモッグ」は、掲載されている大判の俳句歳時記などでは「天文」に分類されるように現象の一種です。以下、ウィキペディアをベースにお話ししていきます。
スモッグ (英: smog)とは、大気中に大気汚染物質が浮遊しているため周囲の見通し(視程)が低下している状態を指す言葉であり、高濃度の大気汚染の1種である。
( 同上 )
歴史的経緯
Smoke(煙)と fog(霧)を合成したかばん語(混成語)である。1905年にイギリス・ロンドンの医師H. A. デ・ボー (H. A. Des Voeux) がロンドンの汚れた空気に対して用いたのが最初とされる。デ・ボーは後の1911年、マンチェスターで行われた煙の汚染に関する会議において、1909年秋に1,000人以上が死亡したグラスゴーとエディンバラの汚染に対してもスモッグの語を用い、これをきっかけとしてスモッグの語が広まったとされている。
( 同上 )
カタカナで書き直せば、「スモーク」と「フォグ」を合成して出来たのが「スモッグ」であり、20世紀に生まれた比較的新しい言葉なのだそうです。発生は19世紀以前から見られたようですが、命名されるとともに、その現象は社会問題に発展していったことが書かれています。(↓)
歴史的経緯からスモッグは2種類に分けられる。一つは、煤煙(煤)や硫黄酸化物を主体とし黒色系で霧を伴うもので、「黒いスモッグ」あるいは「ロンドン型スモッグ」と言う。
もう一つは、光化学オキシダントや硫黄酸化物を主体とし白色系で霧を伴わないもので、 「白いスモッグ」あるいは「ロサンゼルス型スモッグ」と言う。
( 同上 )
黒いスモッグ/ロンドン型スモッグ
ロンドンの市街地では産業革命の前から、石炭を燃やした際に出る煙による大気の汚れが問題となっていた。19世紀に入ると、死者数が発表されるなど深刻さを増していた。ロンドンはイギリス国内でも霧が多いことが知られているが、この霧と煙の微粒子が混じったものが滞留する汚染が発生、呼吸器疾患などの健康被害が発生していた。
1905年に“スモッグ”の語が登場、この用語はロンドンだけではなく世界各地の都市などで発生していた煙と霧の混じった汚染された大気に対して用いられるようになった。後に霧を伴わないスモッグが登場したことから、この種のスモッグは「黒いスモッグ」あるいは「ロンドン型スモッグ」と呼ぶようになった。
この種のスモッグで最大の被害を出したのは、「ロンドンスモッグ事件」である。1952年12月、ロンドンで二酸化硫黄(亜硫酸ガス)を多く含んだ濃いスモッグが5日間にわたって停滞、死者は4,000人に達した。更に、冬の期間全体では1万人以上に達した。これを教訓として行政は本格的な規制を開始、1954年にロンドン市会で初めて煤煙の排出規制を盛り込んだ条例を制定、1956年にはイギリス国会で大気浄化法(Clean Air Act 1956)を制定している。
日本では19世紀終盤に工業化に伴い煤煙の排出が増えて問題となり始めた。黒いスモッグは1950年代 – 1960年代にピークとなった。
( 同上 )
白いスモッグ/ロサンゼルス型スモッグ
1940年代から、自動車の排気ガスの増加に伴い、従来の黒色のスモッグとは異なる白色のスモッグが現れるようになった。
アメリカ・ロサンゼルスでは1944年頃から発生し始め、目・鼻・気道への刺激を特徴としていた。後に、ガソリンの原料である石油に多く含まれる硫黄分に由来する硫黄酸化物、排気に含まれる窒素酸化物と炭化水素が太陽光中の紫外線を受けて反応して生成される光化学オキシダントの2つが、その主成分であることが分かった。
従来のスモッグは煤煙を主体とし霧を伴っていたが、このスモッグは晴れた日の昼間に発生し霧を伴わなかったのが特徴で、従来のものと区別して「白いスモッグ」「光化学スモッグ」、また初めて大規模な発生が報告されたロサンゼルスの名をとって「ロサンゼルス型スモッグ」と呼ぶようになった。日本では、1970年(昭和45年)7月18日に東京杉並区などで発生した光化学スモッグが報道されて以来、広く知られるようになった。国内の光化学スモッグ注意報などの発表延べ日数は、1973年(昭和48年)に300日以上のピークに達している。1984年(昭和54年)には100日以下に減少したが、その後再び100-200日前後に増加し、2000年や2007年には200日を超えるなど21世紀に入っても多く発生している。
( 同上 )
「煙霧」との違い
スモッグと煙霧 (haze) は似ているが同一ではない。
スモッグは大気汚染により視程が低下している状態、煙霧は乾いた微粒子により視程が低下している状態を言い、定義の範囲が重複しているがずれている。
例えば、霧を伴うスモッグは煙霧ではない(霧や靄となる)が、霧を伴わないスモッグは煙霧である。また、煙霧は大気汚染以外に、砂塵(黄砂など)や火山灰などの微粒子により視程が低下している状態も指す。
スモッグ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
上が「スモッグ」、下が「煙霧」の該当する箇所です。細かい話は興味ある方だけお読みくださいな。
煙霧(えんむ、英: haze)とは、目に見えない乾いた微粒子が大気中に浮遊していて、視程が妨げられている現象。気象観測上は、視程が10km未満になっているとき。また煙霧のとき、湿度は75%未満の場合が多い。発生源は、地面から舞い上がったちりや砂ぼこり、火事による煙、工場や自動車からのばい煙などさまざま。
なお、大気汚染が原因であることが明らかな煙霧は「スモッグ」とも呼ばれる。
煙霧
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
俳句における季語での特徴・区別について私なりの考えを下にまとめていきます。
冬の季語としての「スモッグ」
季語としての「スモッグ」を語るにあたって、もっと大きなところから話していきたく思います。季節が違うものの、似たような現象が天文の季語として掲載されているから、そことの区別を先にいきたいと思います。電子辞書の『角川俳句大歳時記』から、霧や靄(もや)っぽい季語を集めてみました(↓)。
- 【春】:朧(おぼろ)、霞(かすみ)、春塵、春埃、霾(つちふる)
- 【夏】:夏の霧、夏霧、夏の霞、夏霞、海霧(じり)、雲海
- 【秋】:秋の霞、秋霞、霧、朝霧、夕霧、夜霧、山霧 etc…
- 【冬】:冬霞、寒霞、冬の霧、冬霧、スモッグ、煙霧、気嵐(けあらし)、冬の靄
- 【新年】初霞、新霞
フェーン現象なども「風炎」などとして掲載されることもある俳句歳時記の時候・天文といったカテゴリーにあって、外来語がそのまま載ってくるのは比較的珍しいように思います。「スモッグ」はそういった意味で、かなり新しくて異質な存在なのかも知れません。
『角川俳句大歳時記』では「冬」分冊に掲載されていて、なおかつ『冬の霧』の傍題の一つとして煙霧とともにありました。上でウィキペディアの記事から引用したように、湿度であったり含まれる化学物質によって区別されうる訳ですが、詳しく気にしなければ、ボヤボヤっとモヤモヤっとしている寒い日の光景です。
多くの歳時記が科学的な厳密性を意図的に排除してきたことを思えば、上記の細かい分類を知識として知っておいて損はないでしょうが、兼題として与えられていなければ作句に大きな支障はないようにも思えました。
むしろ、「冬の霧」などではなく「スモッグ」を使う具体的な意図が示せた方が、句の評価は高まるのではないかと思います。具体的に言えば以下の2パターンです。
(作句案①)公害としての「スモッグ」
「冬霧」であれば雅な感じを受けますが、「スモッグ」:特に「光化学スモッグ」や「白いスモッグ」に関しては、人体などに影響を及ぼす公害としての要素が強まります。「冬霧」にはない要素として、『人間の営みの結果としてのスモッグ』があるように感じます。
社会派な内容であったり、メッセージ性の強い俳句となると、有季定型を外れて「無季俳句」の方面になっていくのかも知れません。「無季俳句」ならばある意味で『風刺』なり『悲哀』なりを色濃く打ち出す必要性が出てくるでしょうし、「有季定型俳句」として公害のスモッグを詠みたいとなれば、冬の季感を強く打ち出して、スモッグが主役になる工夫が必要になるでしょう。
どちらにせよ相当に高度な技術を求められそうだなというのが第一感です。もちろん皆さんも1句、捻ってみていただければと思いますが。
(作句案②)外国都市を纏う「スモッグ」
個人的(Rx)にオススメなのがこちらです。そもそも「スモッグ」という言葉は外来語であり、歳時記に掲載されているのが「冬霧」などと密接であることからも明らかな様に、『外国の近代的な都市』との相性・取り合わせはピッタリ行きやすいと思います。
上に再現されたスモッグの画像をウィキペディアから引用していますが、こういった『外国の都市を冬に包む霧や靄』のことを指して『スモッグ』とオシャレに使うのが、俳句の世界においては有りがちな様に感じるのです。
もちろん、誤解なきように言っておくと、ウィキペディアの記事にも詳細にかかれているとおり、黒いスモッグも白いスモッグもどちらも人体に害をなすもの(≒公害)であることは間違いありません。上の画像のようなロンドン型のスモッグも、産業革命前後の石炭などの燃焼に伴う大気汚染ですから、本来“オシャレ”だとか悠長に言ってる場合ではないのです。
ただ、ロンドンやパリ、ロサンゼルスなどと海外の大都市で良く見られた「スモッグ」が、そういった街を連想される情景(12音)と共に描かれると、どうしても『オシャレな冬の風物詩』ぐらいの空気感になってしまうものと思うのです(浮世絵の夕立に降られたらびしょ濡れなのだろうけれど、絵画として見る分には粋に思えるのと似ていますかね)。
百聞は一見にしかずではないですが、昭和・平成期の俳人の例句を見ていきましょう。
- 『スモッグの黄昏 洋装店で撥ねるピン』/伊丹公子
- 『細き灯やスモッグ街の鯛焼屋』/本宮夏嶺男
- 『スモッグに包まれステンドグラスの眠り』/八木三日女
伊丹さんと八木さんの句は、西洋的なものが明示されているされていることもあって、実際の情景は国内かも知れませんが、どうしても欧米の大都市のワンシーンのように感じます。
一方、本宮さんの句は、海外の日本人街に行った訳ではないでしょうから、普通に読めば『鯛焼屋』は日本国内の街のワンシーンとなるでしょう。それでも『細き灯やスモッグ街の』と頭から読んでいけば、基本的には海外の都市を連想してしまうのが性(さが)でしょう。
※恐らく、下五の鯛焼屋というギャップを狙った作品なのだと思います。
仮に比較のために「スモッグ」を変えてみましょう。『細き灯や冬霧の街の鯛焼屋』だと中八ですし、何となく重たい雰囲気で寒々しくなってしまいます。また、『冬霧の黄昏 洋装店で撥ねるピン』だと、最初に思い浮かぶのは海外よりも国内の情景になりそうな感じがします。
もちろん、音数的な制約から同義として使う事例もあるでしょうが、特に「作句案②」で示した『異国の都市』感をうまく味方につけられると、句全体の魅力が増すのではないかと思います。
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