【はじめに】
この記事では、JRA年度代表馬に輝いた馬の、その翌年の「年明け緒戦」についてまとめていきます。
基本情報:約3分の2が翌年も現役続行
中央競馬の活躍をたたえるための賞としては、1954年に競馬予想紙を発行していた啓衆社が設けた啓衆賞が最初であり、その後1972年にJRAの機関紙である優駿の主催で優駿賞に変更。現在のJRAの主催となったのは1987年からで、そのときからJRA賞という名称に変更された。
日本語版ウィキペディア > JRA賞 より
主催の変更はあるものの、「年度代表馬」のコンセプトは殆ど変わっていないので、同じものとしてこの記事では取り扱っていきます。
1954年に創設されて以降(1963年の2頭選出を含め)約70頭が、年度代表馬の栄誉に輝いています。そのうち、その年で現役最後のレースを迎えた馬は約3分の1います。裏返せば、約3分の2は、翌年も現役を続け、「年明け緒戦」を迎えているのです。
年度代表馬の年明け緒戦といえば、メディアは大きく取り上げますし、注目度が高まれば該当する馬に人気も集中します。では、そうした馬の成績はどうだったのか、勝率と回収率との観点から振り返っていこうと思います。(私的集計なので、集計間違い等あればすみません。参考程度にご覧ください。)
全頭リストにして分かったこと
以下、早速ですが、2021年現在のリストをまとめてみます。こちらです。
空欄になっているところは現役を引退した馬です。平成以降は「撃破馬」として、年度代表馬が敗戦した場合、そのレースの勝ち馬とオッズ・人気を補記しました。何となくの参考にしてください。
試しに、平成時代までの成績を集計してみると、「45戦19勝(19-7-2-17)」となり、単勝回収率は100%を超えました。しかし、平成年間のみに範囲を狭めると、「20戦8勝(8-5-1-6)」で勝率は4割と変わりませんが、単勝回収率が60%台まで落ち込みました。いわば「ローリスク・ハイリターン」に陥り始めているのです。
以下、時代ごとに分けてみていきます。
昭和時代:25戦11勝(11-2-1-11)ミドルリスク・ミドルリターン
昭和年間は、今と大きくトレンドが異なるので簡潔にしますが、この時代ならではの空気感を楽しみましょう。
かつては年度代表馬が翌月の「AJCC」や春先の「オープン戦」を緒戦にすることが多かったです。海外挑戦や長期休養明け、酷量、距離不安などを除けば、かなり安定した成績を残しており、単勝オッズも妙味がありました。
例えば、タケホープのAJCC(当時は東京2400m)は、1番人気のハイセイコーが9着と大敗し、単勝3番人気だった(実力の)タケホープが完勝しています。また、半年ぶりの実戦となったトウショウボーイの宝塚記念では、TTGの他2頭を抑え、大混戦のオッズの中、高オッズの優勝を収めています。
そしていわゆる現代人が想像する構図となるのは、1980年代に生まれた2頭の3冠馬の明暗でしょう。ミスターシービーは休養明けの緒戦でカツラギエースに惜敗をし2着、シンボリルドルフは日経賞を断然人気で4馬身差の楽勝をしますが、現役最後となる「サンルイレイS(米)」ではレース中の故障もあり、6着と大敗をしています。
平成時代:20戦8勝(8-5-1-6)ハイリスク・ローリターン
平成年間でも、1990・2010年代と2000年代で傾向が大きく異なりますが、一旦まとめて集計します。
年明け緒戦を制したのは、トウカイテイオー、ビワハヤヒデ、ナリタブライアン、エアグルーヴ、ディープインパクト、モーリス、キタサンブラック、アーモンドアイという錚々たるメンバーです。半数はJRA顕彰馬になっているクラスの馬たちと言えます。いずれも、1番人気相当での勝利でした。
ただ、注意すべきはその単勝オッズ。キタサンブラックの大阪杯:単勝2.4倍は例外であって、その他は単勝1倍台の前半というのが実績値です。仮にモーリスを含んでも単勝回収率は100%に届かないと思います。
ローリターンだったとしても、大勝負に出たら良いだけなんじゃないの?
という考えにもなりますが、馬券的に「ハイリスク・ローリターン」な傾向はやはり注意が必要です。
開催年 | レース | 2着馬 | 1着馬 | オッズ |
---|---|---|---|---|
1996 | 阪神大賞典 | マヤノトップガン | ナリタブライアン | 2.1② |
1997 | 天皇賞(春) | サクラローレル | マヤノトップガン | 3.7② |
2002 | 阪神大賞典 | ジャングルポケット | ナリタトップロード | 1.9① |
2012 | 阪神大賞典 | オルフェーヴル | ギュスターヴクライ | 13.4③ |
2013 | ドバイSC | ジェンティルドンナ | St Nicholas Abbey |
上に示したのは年明け緒戦を2着と惜敗したレースです。平成年間でも連対率に広げるとようやく6割を超えますが、それでもオッズが低いのに「頭」にしてたら、この瞬間で紙くずになってしまいます。
年明け緒戦をまさかの敗戦というのは、【オルフェーヴル】の衝撃が強すぎるのですが、その前をみると「伍する力を持つ一流馬」に惜敗の2着というのは結構あることなのかも知れません。
そして、着外に沈む例というのも、決して珍しいことではないことも見えてきます。平成以降で連対を外した例をピックアップしてみました。
直近3例は牝馬による中東海外挑戦(馬場的に不向きか)だったので、それを度外視しても、2000年代に3例、掲示板確保が精一杯という結果になったレースがあります。
テイエムオペラオーの連勝がとまった「産経大阪杯」は、トーホウドリームがエアシャカールなどを下しての勝利。単勝オッズは73.4倍でした。また明け4歳緒戦で宝塚記念に出走したシンボリクリスエスは、あのヒシミラクルを捉えられず5着。タップダンスシチー、ネオユニヴァースとの3着争いにも敗れる結果となりました。
同様に、古馬秋三冠(有馬記念はR2.29.5)を達成したゼンノロブロイも、半年ぶりの実戦は3着と敗れています。もちろん勝ったスイープトウショウや2着のハーツクライは強いので番狂わせとも言えないのですが、馬券検討の際には、こういった例が案外あることも頭の片隅に置いておきましょう。
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