【はじめに】
重賞競走の歴史を振り返りながら季節の移ろいを感じる「競馬歳時記」。今回は「日経賞」の歴史をWikipediaと共に振り返っていきましょう。
日経賞(にっけいしょう)は、日本中央競馬会 (JRA) が中山競馬場で施行する中央競馬の重賞競走(GII)である。寄贈賞を提供する日本経済新聞社は、東京・大阪に本社を置く新聞社。
日経賞
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
昭和時代:
1953~1957年:3200m時代
創設されたのは1953年。様々な新聞社に社賞を作らせて競馬の箔付けに腐心していた時代です。当初は今よりも長い3200mで創設されました。
回数 | 施行日 | 競馬場 | 距離 | 優勝馬 | 性齢 | タイム |
---|---|---|---|---|---|---|
第1回 | 1953年6月28日 | 中山 | 3200m | タカハタ | 牝4 | 3:30 0/5 |
第2回 | 1954年6月27日 | 中山 | 3200m | フソウ | 牡4 | 3:37 1/5 |
第3回 | 1955年6月26日 | 中山 | 3200m | クリチカラ | 牡5 | 3:28 4/5 |
第4回 | 1956年7月1日 | 東京 | 3200m | フクリユウ | 牝4 | 3:32 1/5 |
第5回 | 1957年6月30日 | 中山 | 3200m | ハクチカラ | 牡4 | 3:36 3/5 |
初回(1953年)は6頭立てで、4着と5着の差が10馬身差。それもそのはずで出走した八大競走級の4頭が約5馬身の間に入るような接戦となったからです。ちょうどタイミング的には今で言う「宝塚記念」ですよね。新設重賞への期待感は高かったと見えます。
第4回はややメンバーも手薄となり、第5回は何と3頭立てという少頭数となりましたが、実力馬【ハクチカラ】が60kgを背負って6馬身差の楽勝に。それでもややこの3200m戦への需要といった面からも、1958年に見直されることとなります。
1958~1966年:2600mに短縮
それが1958年には2600mに短縮されます。関西に「宝塚杯」が創設されていますが、まだ東西でやや分かれていた時代の春の総決算といった意味合いが強かったのだと思います。
第6回 | 1958年6月22日 | 中山 | 2600m | オンワードゼア | 牡4 | 2:43 2/5 |
第7回 | 1959年6月28日 | 中山 | 2600m | ヒシマサル | 牡4 | 2:43.0 |
第8回 | 1960年6月26日 | 中山 | 2600m | オーテモン | 牡5 | 2:41.6 |
第9回 | 1961年7月2日 | 中山 | 2600m | ホマレボシ | 牡4 | 2:41.2 |
第10回 | 1962年7月8日 | 中山 | 2600m | オンスロート | 牡5 | 2:40.7 |
第11回 | 1963年6月23日 | 中山 | 2600m | ヤマノオー | 牡4 | 2:45.2 |
第12回 | 1964年6月28日 | 東京 | 2500m | ヤマトキヨウダイ | 牡4 | 2:36.4 |
第13回 | 1965年6月27日 | 中山 | 2600m | フジイサミ | 牡4 | 2:46.1 |
第14回 | 1966年6月26日 | 東京 | 2600m | スピードキング | 牡4 | 2:41.8 |
基本的には、当時「中山2600m」といえば「有馬記念」の開催距離であり、そういった意味では、春と秋の最後の中山開催の古馬重賞で対応させていたという見方もできそうです。
実際、中山2600mなどの「有馬記念」を制するような馬の名前が昭和30年代には多くみられますし、当時から「スーパーG2」相当の格があったのだろうなと想像できます。
1967~1979年:2500mに短縮されるも夏開催
徐々に「宝塚記念」が全国区のレースとなっていくのに対して、2500mへと短縮された「日経賞」は、関東の一重賞といったニュアンスが強まっていきました。
開催時期は1971年の5月開催を除いて基本的に6月後半から7月初頭であり、「宝塚記念」や「高松宮杯」といった西側の後の古馬重賞といった立ち位置でした。
第18回 | 1970年6月21日 | 中山 | 2500m | アカネテンリュウ | 牡4 | 2:41.4 |
第19回 | 1971年5月30日 | 東京 | 2500m | マキノホープ | 牡5 | 2:34.1 |
第20回 | 1972年7月2日 | 東京 | 2500m | カツタイコウ | 牡4 | 2:33.9 |
第21回 | 1973年7月1日 | 中山 | 2500m | トーヨーアサヒ | 牡4 | 2:35.0 |
第22回 | 1974年6月30日 | 中山 | 2500m | タケクマヒカル | 牡5 | 2:35.6 |
第23回 | 1975年6月29日 | 中山 | 2500m | ホワイトフォンテン | 牡5 | 2:35.8 |
第24回 | 1976年7月4日 | 中山 | 2500m | ホワイトフォンテン | 牡6 | 2:37.1 |
第25回 | 1977年7月3日 | 中山 | 2500m | グリーングラス | 牡4 | 2:33.8 |
第26回 | 1978年7月2日 | 中山 | 2500m | カネミノブ | 牡4 | 2:34.3 |
なお、1979年は福島競馬場で2400m戦として開催されており、この翌年から大変革が行われました。
1980年~:春の古馬G2に移設
「日経賞」となった本競走は、レース名に開催場との関連性が少なかったことから、昭和50年代までは東京競馬場で時折開催されていました。中山開催で実質的に固定され、天皇賞(春)の前哨戦という位置づけが固まったのは、G2に格付けされた1984年です。
第28回 | 1980年3月30日 | 中山 | 2500m | ホウヨウボーイ | 牡5 | 2:41.9 |
第29回 | 1981年5月17日 | 東京 | 2500m | ウエスタンジェット | 牡4 | 2:39.2 |
第30回 | 1982年5月16日 | 東京 | 2500m | メジロティターン | 牡4 | 2:32.8 |
第31回 | 1983年5月15日 | 東京 | 2500m | アサヒテイオー | 牡4 | 2:35.8 |
第32回 | 1984年4月1日 | 中山 | 2500m | ハヤテミグ | 牡4 | 2:38.2 |
第33回 | 1985年3月31日 | 中山 | 2500m | シンボリルドルフ | 牡4 | 2:36.2 |
第34回 | 1986年3月30日 | 中山 | 2500m | チェスナットバレー | 牡5 | 2:35.2 |
第35回 | 1987年4月5日 | 中山 | 2500m | ミホシンザン | 牡5 | 2:33.8 |
第36回 | 1988年4月3日 | 東京 | 2500m | メジロフルマー | 牝4 | 2:35.5 |
1985年には【シンボリルドルフ】が年明け緒戦に「日経賞」を選んでおり、これで天皇賞(春)の王道の前哨戦としてのイメージが生まれ始めていったのだと思います。
年によってレースレベルの差が激しいのですが、1987年にも【ミホシンザン】が59kgでこのレースを勝ってAJCCからの連勝とし、更に天皇賞(春)を制したことから関東馬のステップとして定着します。
平成・令和時代:
平成年間に入ると、メジロライアン、ライスシャワーなど、まさに天皇賞(春)を目指すステイヤーがこのレースを使って勝っています。
第37回 | 1989年4月2日 | ランニングフリー | 牡6 | 2:33.3 |
第38回 | 1990年4月1日 | オースミシャダイ | 牡4 | 2:34.6 |
第39回 | 1991年3月31日 | キリサンシー | 牡6 | 2:38.8 |
第40回 | 1992年3月22日 | メジロライアン | 牡5 | 2:38.3 |
第41回 | 1993年3月21日 | ライスシャワー | 牡4 | 2:35.8 |
第42回 | 1994年3月20日 | ステージチャンプ | 牡4 | 2:32.8 |
第43回 | 1995年3月19日 | インターライナー | 牡4 | 2:41.0 |
第44回 | 1996年3月17日 | ホッカイルソー | 牡4 | 2:37.3 |
第45回 | 1997年3月23日 | ローゼンカバリー | 牡4 | 2:42.5 |
第46回 | 1998年3月29日 | テンジンショウグン | 牡8 | 2:34.4 |
第47回 | 1999年3月28日 | セイウンスカイ | 牡4 | 2:35.3 |
そして、平成年間後半に入ると、有馬記念や天皇賞(春)といったスタミナ自慢が活躍するレースに適性をもった馬が焦点を絞ってここを使ってくる傾向が顕著となります。
第54回 | 2006年3月25日 | 中山 | 2500m | リンカーン | 牡6 | 2:33.0 |
第55回 | 2007年3月24日 | 中山 | 2500m | ネヴァブション | 牡4 | 2:31.8 |
第56回 | 2008年3月29日 | 中山 | 2500m | マツリダゴッホ | 牡5 | 2:32.7 |
第57回 | 2009年3月28日 | 中山 | 2500m | アルナスライン | 牡5 | 2:31.2 |
第58回 | 2010年3月27日 | 中山 | 2500m | マイネルキッツ | 牡7 | 2:34.1 |
第59回 | 2011年4月2日 | 阪神 | 2400m | トゥザグローリー | 牡4 | 2:25.4 |
第60回 | 2012年3月24日 | 中山 | 2500m | ネコパンチ | 牡6 | 2:37.4 |
第61回 | 2013年3月23日 | 中山 | 2500m | フェノーメノ | 牡4 | 2:32.0 |
第62回 | 2014年3月29日 | 中山 | 2500m | ウインバリアシオン | 牡6 | 2:34.4 |
2011年には、“東日本大震災および東京電力福島第一原子力発電所事故で中山競馬が開催中止となったことにより、阪神競馬場の芝2400mで施行”されていますが、開催時期も影響してか非常に質の高い馬がここを使ってきていたことが窺えます。
個人的には、「大阪杯」がG1に昇格すると聞いた時、「宝塚記念」と200mしか差がなくて阪神で2レース開催となってしまうんだし、関東開催で2500mと距離的にも特徴のある「日経賞」をG1にしても良かったんじゃないの? と思っていましたが、今でも「伝統のG2」の位置を保って令和に入ります。
2016年以降のレースレーティングを併記しましたが、2018~20年が少し「並のG2」ぐらいとなっていますが、それ以外の年は「G1の目安:115ポンド」に迫るような所で安定しており、G1にも直結をするレースとみて良さそうです。
第64回 | 2016年3月26日 | 117.75 | ゴールドアクター | 牡5 | 2:36.8 |
第65回 | 2017年3月25日 | 115.50 | シャケトラ | 牡4 | 2:32.8 |
第66回 | 2018年3月24日 | 113.25 | ガンコ | 牡5 | 2:33.9 |
第67回 | 2019年3月23日 | 112.00 | メイショウテッコン | 牡4 | 2:34.2 |
第68回 | 2020年3月28日 | 113.00 | ミッキースワロー | 牡6 | 2:32.9 |
第69回 | 2021年3月27日 | 115.25 | ウインマリリン | 牝4 | 2:33.3 |
第70回 | 2022年3月26日 | 114.00 | タイトルホルダー | 牡4 | 2:35.4 |
第71回 | 2023年3月25日 | タイトルホルダー | 牡5 | 2:36.8 |
特に2023年の【タイトルホルダー】の8馬身差の圧勝は、不良馬場をも物ともせぬ強さであり、春のG1シーズンが楽しみになる「まさにG2」といった素晴らしいレースだったと思います。
コメント