競馬歳時記【11月3週】「東京スポーツ杯2歳S」

【はじめに】
重賞競走の歴史を振り返りながら季節の移ろいを感じる「競馬歳時記」。今回は「東京スポーツ杯2歳S」の歴史をWikipediaと共に振り返っていきましょう。

東京スポーツ杯2歳ステークス(とうきょうスポーツはいにさいステークス)は、日本中央競馬会(JRA)が東京競馬場で施行する中央競馬重賞競走GII)である。

寄贈賞を提供する東京スポーツは、東京都江東区に本社を置く新聞社。

東京スポーツ杯2歳ステークス
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

前身:オープン特別時代

概要
1966年にオープン特別東京3歳ステークス(とうきょうさんさいステークス)」の名称で創設された、3歳(現2歳)馬による競走。1968年より名称が「府中3歳ステークス(ふちゅうさんさいステークス)」に改められ、以来3歳オープンの特別競走として長らく施行してきた

( 同上 )

日本語版ウィキペディアでは、上のとおり「1966年」に創設されたとありますが、例えば「netkeiba」さんのデータベースなどによれば、少なく1959年までその歴史は遡れます。JRAが1966年とした根拠がイマイチ分かりませんが、この記事では1950年代から「オープン特別」の前身時代を振り返ります。

1959~1967年:東京三歳ステークス時代

開催日優勝馬
59/11/29マツカゼオー
60/11/27ハクシヨウ
61/11/26カネツセーキ
62/11/23グレートヨルカ
63/11/24フラミンゴ
64/11/29メジロマンゲツ
65/11/28ヒロイサミ
66/11/03ヤマニンカツプ
(出所)netkeiba.com のデータベース より筆者作成

調べると、11月下旬に創設され、初回から半数近くが八大競走級の馬であるなど出世レースだったことが窺える勝ち馬ラインナップとなりました。【マツカゼオー】は無敗のレコード続きで現2歳戦を終えましたし、2回目の【ハクシヨウ】も現2歳時は無敗、そして翌年には日本ダービーを制しています。

初期は無敗で現2歳王者となるような馬が多く、当時から「朝日盃3歳S」の前哨戦としての位置づけが明確となっていました。しかも東京競馬場開催ということで、短距離戦ながらスピードとスタミナの両面を1400mという舞台で占う舞台となっていました。

1968~1995年:府中3歳ステークス

1968年に「府中3歳S」となってからは、1972年に後のオークス馬・ナスノチグサが優勝、1973年に後のダービー馬・コーネルランサーが3着に入るなどクラシックホースが参戦しています。

そして、あの無敗馬があわや敗戦しそうになった「府中3歳S」も、オープン特別でした。その名馬とは【マルゼンスキー】です。

11月21日の府中3歳ステークスでは、北海道3歳ステークスの勝利馬・ヒシスピードと対戦。5頭立ての少頭数で、単勝オッズはマルゼンスキー1.1倍、ヒシスピード6.7倍であった。

マルゼンスキーの能力に心酔していた中野渡は、「相手が迫ってくるのを待ってスパートを掛ければいい」とみて悠長なレース運びをしていたが、最後の直線半ばでヒシスピードが一気に並びかけ、慌てて追いだした中野渡マルゼンスキーとヒシスピードの激しい競り合いとなった。両馬並んで入線して写真判定となり、結果はマルゼンスキーがハナ差先着していた。

マルゼンスキー
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

オープン特別時代のレースで、故障気味であり、本番「朝日杯3歳S」の前哨戦として出走したこともありましたが、仮にここでハナ差2着に敗れていたら、この馬の運命も日本競馬の開放も違った世界線になっていたかも知れません。

マルゼンスキーの優勝の翌年には出走頭数が揃わず競走取りやめとなっており、その後もなかなか八大競走級の馬が誕生しなくなります。周囲の重賞が充実したことなども影響しているでしょうか。

  • 1977年 – 出走申込が3頭しかなかったため、競走取りやめ。

その結果、1983年までの不振ぶりを受けてか分かりませんが、1984年のグレード制導入時には重賞に格付けされず、オープン特別で据え置かれてしまいました。

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しかし、その1984年に「1800m」の中距離戦となると、後の日本ダービー馬【シリウスシンボリ】を輩出したほか、1986年にはあのマティリアルが3着に入るなどメンバーが徐々に回復していきます。

平成年間に入ってもしばらくオープン特別としての開催が続きましたが、1991年にマチカネタンホイザ、1994年にホッカイルソー、1995年にバブルガムフェローが優勝するなど重賞級の馬を相次いで輩出した実績なども買われてか、1996年に念願の重賞昇格を果たします。1959年から数えても40年近い歴史があったことをここまで見てきました。

重賞(G3→G2)時代

1996~2020年:G3(1997年から「東京スポーツ杯」に)

1996年の重賞昇格初年は従来の「府中3歳S」という名を継承し、ゴッドスピードが8番人気で優勝。後の2冠馬・サニーブライアンが2番人気で7着と敗れていました。

その翌年から「東京スポーツ杯」を冠するようになりまして、「東京スポーツ杯3歳S」の時代には、1997年にキングヘイロー、1998年にアドマイヤコジーンが優勝しています。

馬齢変更により「東京スポーツ杯2歳S」となると、やや早熟気味ではあるものの翌年のクラシックを期待される馬が優勝していき、2000年代後半には、2005年にメイショウサムソンが2着、2006年にドリームジャーニーが3着と惜敗し、2008年にナカヤマフェスタ、2009年にローズキングダムが優勝しており、古馬にかけて活躍する馬していきます。

2010年代に入ると、2011年に不良馬場を勝ったディープブリランテが日本ダービー馬となり、2017年のワグネリアン、2019年のコントレイルと合わせてダービー馬を3頭も輩出しています。三冠馬の輩出は半世紀以上の歴史で初めてでした。

2021~:G2昇格(数少ない中距離2歳重賞)

26頭の優勝馬のうち、平地GI優勝馬14頭、障害GI優勝馬1頭を輩出している。(詳細・出典は各優勝馬記事を参照のこと)

とウィキペディアにある通り、古くから八大競走と縁が深く、まさに本格派な「出世レース」といった印象です。2021年には翌年の天皇賞(秋)馬・イクイノックスが勝っています。

2016年11月19日110.25ブレスジャーニー1:48.3柴田善臣
2017年11月18日107.25ワグネリアン1:46.6福永祐一
2018年11月17日109.50ニシノデイジー1:46.6勝浦正樹
2019年11月16日106.00コントレイル1:44.5R.ムーア
2020年11月23日109.50ダノンザキッド1:47.5川田将雅
2021年11月20日106.50イクイノックス1:46.2C.ルメール

後の時代からみると、八大競走勝ち馬を輩出した年の方がレースレーティングが低いという逆転現象が起きてしまっていますが、いずれにしても「2歳G3の目安:100ポンド」どころか「2歳G2の目安:105ポンド」をも上回っており、G3時代には『スーパーG3』の要素が強いレースでした。

2021年にG2に昇格し、下手をすると年末のG1よりも八大競走に直結するような豪華メンバーが揃う年も出てくるかも知れません。古くは「府中」や「東京」などを冠した現2歳重賞だったことを思うと、その名に相応しい格が付された感もあります。今後の出走馬とレースの出世に期待していきましょう。

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