子ども博士が選ぶ「昭和の泣ける名曲」ベスト20(2022/02/19)を振り返る

【はじめに】
この記事では、2022年2月19日にテレビ朝日系列で放送された「子ども博士が選ぶ『昭和の泣ける名曲』ベスト20」を私なりの視線で振り返っていきたいと思います。

平均年齢14歳が選ぶ「昭和の泣ける名曲ベスト20」発表!
 https://post.tv-asahi.co.jp/post-178568/

ベスト20の第1位となったのは、美空ひばりさんの楽曲です。何だと思いますか? 答えはこちら!

1.オフィシャルなベスト20

まずは、番組内で放送されたオフィシャルな「ベスト20」をみていきましょう。こちらです、ドン!

1位:(1952年)リンゴ追分/美空ひばり
2位:(1978年)いい日旅立ち/山口百恵
3位:(1973年)ひこうき雲/荒井由実
4位:(1971年)また逢う日まで/尾崎紀世彦
5位:(1975年)時代/中島みゆき
6位:(1984年)つぐない/テレサ・テン
7位:(1982年)聖母たちのララバイ/岩崎宏美
8位:(1972年)喝采/ちあきなおみ
9位:(1957年)東京だョおっ母さん/島倉千代子
10位:(1975年)なごり雪/イルカ

11位:(1961年)上を向いて歩こう/坂本九
12位:(1979年)ラヴ・イズ・オーヴァー/欧陽菲菲
13位:(1986年)駅/中森明菜・竹内まりや
14位:(1952年)あゝモンテンルパの夜は更けて/渡辺はま子
15位:(1985年)恋におちて -Fall in love-/小林明子
16位:(1977年)津軽海峡・冬景色/石川さゆり
17位:(1977年)あずさ2号/狩人
18位:(1983年)クリスマス・イブ/山下達郎
19位:(1975年)木綿のハンカチーフ/太田裕美
20位:(1973年)あなた/小坂明子

今回のラインナップを見て感じたことを確認するために、年代別にしてみました。それがこちらです。

西暦年代曲数  和暦年代曲数
1950年代 3曲昭和20年代 2曲
1960年代 1曲昭和30年代 2曲
1970年代11曲昭和40年代 4曲
1980年代 5曲昭和50年代10曲
昭和60年代 2曲

※厳密にいうと、「クリスマス・イブ」は平成のヒットが印象的ですし、「ラヴ・イズ・オーヴァー」もB面としてリリースした1979年を集計では採用していますが、実際にA面曲として日本でヒットしたのは1980年代かと思います。

ただそういったことを凌駕するかのごとく、1970年代・昭和50年代で全体の半数を占めるというランキングになっていたことが分かります。しかし、もっとこの時代に偏ったランキングをして「昭和歌謡」ランキングと銘打っている企画も多いことを思えば、多少はバランスを考えたラインナップだったかなとも思いました。

むしろこのランキングで特筆すべきは、「1960年代」が極端に少なく、「1950年代」まですっ飛んでしまっている点でしょう。今回の対象となる「子ども博士」の方々に刺さるかは別にしても、1960年代もムード歌謡などの名曲は多かったので、1962~1970年が完全に抜けてしまっているのが少し残念です。

2.昭和20年代でランクインした2曲をピックアップ!

その一方で、1950年代が3曲入ったのは、令和時代のゴールデンタイムの音楽番組として大健闘の部類だったと思います。

1位が美空ひばりさんなのは半分予定調和な面もあったかと思いますが、それで選ばれたのが「リンゴ追分」だったという点、昭和20年代でTop20にもう1曲ランクインしてきたのが渡辺はま子さんの「あゝモンテンルパの夜は更けて」だった点は、ある意味で新鮮で評価できるなと感じました。

しかし、視聴者の多くがポカーンだったのは事実かと思いますので、簡単にご紹介しておきましょう。

『リンゴ追分』/美空ひばり

『リンゴ追分』は、1952年(当時15歳)に美空ひばりさんが歌った楽曲で、端的にいえば、幼くしてデビューした美空ひばりさんが10代の頃に発表した数多の楽曲の中で、一番ヒットしたナンバーです。 発売が今から70年前ということもあり、21世紀に顧みられる機会が減ってはいますが、当時の話題性は凄まじく、現代の「ドラマの挿入歌」が話題になるパターンの先駆けだったと思います。

「リンゴ追分」(りんごおいわけ)は、1952年5月1日に発売された美空ひばりのシングル楽曲である。

元々は、1952年4月にラジオ東京(現TBSラジオ)の開局を記念して放送されたラジオドラマ『リンゴ園の少女』の挿入歌として製作され、同年11月に『リンゴ園の少女』が当時15歳だったひばりの主演によって映画化された際にも、本楽曲が主題歌として使用された。
当時としては戦後最大の売り上げとなる70万枚を売り上げ、最終的には130万枚の売り上げを記録するミリオンセラーとなった。これは美空ひばりの全シングル売り上げの歴代5位となっている。

日本語版ウィキペディア > 「リンゴ追分」より

番組内でも映像が流れていましたが、これは映画化された『リンゴ園の少女』の劇中歌唱シーンです。戦後直後に『リンゴの唄』が巷で話題になりましたが、それから数年後、サンフランシスコ講和条約によって主権回復した時期の新たなリンゴ曲として、当時の人々には強烈に歌い回しが印象に残っていたことでしょう。

そして、繰り返しにはなりますが、美空ひばりさんの数々の名曲のうちの一つとして、こうした地上波テレビのランキングにランクインすることはこれまでもあったかと思います。しかし、全体の第1位に輝く事象というのは余りなかったかと思うので、その点で今回のランキングは新鮮だったと思います。

『あゝモンテンルパの夜は更けて』/渡辺はま子・宇都美清

Wikipediaにも載っているような「雑学」が先行してしまっている側面も否めないとは感じたのですが、Top20の中にこんなに戦後歌謡色が強い曲がランクインしてくるとは思っていませんでした。

昭和27年(終戦から7年後)に発売され、翌年にかけて番組内でも語られたエピソードに繋がった、『あゝモンテンルパの夜は更けて』をピックアップしましょう。

※厳密にいえば「渡辺はま子・宇都美清」の両人によるデュエットソングとして初出したはずですが、宇都美清さんが1973年に早世されたこともあり、今回は渡辺はま子さんの楽曲として取り上げられたものと推察します。(以下、それに従って寄稿させていただきます。)

そもそも「渡辺はま子」さんを地上波で取り上げてくだされること自体が嬉しかったのですが、多くの方が「誰?」状態だったかと思うので、そこから少し。

昭和10年代(戦前・戦中)から活躍され、1950年代に始まった『NHK紅白歌合戦』では、第1回を始めとして、第5回までに「3度・紅組トリ」を飾る実績を残されている、昭和前半の歌姫であられます。1999年の大晦日に亡くなられ、二十三回忌となるなど顧みられることが少なくなってきていますけど、個人的には、令和の時代にも伝えていきたいお方です。

さて、そんな渡辺はま子さんの『あゝモンテンルパの夜は更けて』に関するエピソードについて、日本語版Wikipediaを引いてみましょう。

あゝモンテンルパの夜は更けて 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

一部を抜粋することが出来なかったので、R4.2.20時点の文言を画像で貼り付けさせていただきました。原文は上記リンクをご参照ください。

もちろん、この曲に限らず、戦後歌謡は背景を思うと全てが「泣ける昭和のうた」に違いありません。『かえり船』や『星の流れに』、『異国の丘』、『岸壁の母』なども集計母体が違ってればランクインしたかも知れませんが、流石に今回の番組のコンセプトとは違いますでしょうねー

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3.「Rxヒット指標」で並べ替えてみる

各指標については、まだ解説記事を書けていないので、後刻、改めて起稿しようと思っていますが、「①フィジカルリリース売上」、「②配信売上」、「③YouTube再生回数」、「④カバー回数」の4つの指標を合計して、新・旧のヒット曲を時代を超えて比較しようという試みに着手しています。

今回のTop20を、その私の「Rxヒット指標」に基づいて並べ替えると、大体こんな感じになりました。

唯一、1960年代の楽曲でランクインした『上を向いて歩こう』がやはり昭和ソングではダントツの強さを見せ、大台400万を突破しての堂々1位。

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2位以下も名曲が並び、10位でもダブルミリオン、15位でも150万を突破していないといけないという層の厚さを感じさせます。100アーティスト以上にカバーされている楽曲が5曲も上位にランクインをしているところからも、長く多くのアーティストにカバーされた楽曲たちが順当に力を見せたTop20だったのかなと思いました。

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