【はじめに】
重賞競走の歴史を振り返る「競馬歳時記」。今回は、「京王杯スプリングカップ」の歴史をWikipediaと共に振り返っていきましょう。
概要
1956年に、5歳(現4歳)以上の馬による重賞として「スプリングハンデキャップ」の名称で創設。1960年に「京王杯スプリングハンデキャップ」と改称された後、1984年より現名称となった。
当初は2月下旬 – 3月上旬に芝1600mで行われたが、施行時期は1972年より春季の東京開催で定着。距離は幾度かの変更を経て、1981年から1400mで行われるようになった。1984年のグレード制導入でGIIに格付けされ、安田記念の重要な前哨戦として位置づけられた。2014年からは本競走の1着馬に、安田記念の優先出走権が与えられている。
外国産馬は1984年から、外国馬は1994年から、地方競馬所属馬は1995年からそれぞれ出走可能になった。
JRAで行われる沿線大手私鉄5社の冠競走に於いて、秋の2歳ステークスと当競走のみGIIである[注 2]。
京王杯スプリングカップ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
最後の一文については、「言われてみれば確かに」って感じで、初めて知りました。
1950年代:3月前半のマイル重賞として創設
1956年に「スプリングハンデキャップ」として、春の東京開催(この年は皐月賞も東京開催)の最初の重賞として創設されました。2月には重賞競走自体がなかったため、まさに「春」を迎えたという感じのタイミングだったかと思います。
初回は現6歳になった【クリチカラ】が、接戦をレコードで制し、金杯に続く重賞連勝を達成。第2回はヒデホマレ、第3回はブレツシングが5kg斤量の重いオンワードゼアを下していて、第4回は6番人気だったクリペロが有馬記念2着を経ての重賞初制覇を果たしています。
なお、第3回のスプリングHには、アングロアラブながら後に顕彰馬となる【セイユウ】も57kgという重いハンデを背負って出走しましたが、6着(勝ち馬からは0.4秒差)と敗れています。
1960年代:2月開催、1800m戦に
1960年に「京王杯スプリングハンデキャップ」とレース名が変更され、2月開催となります。ただこの時期は、南岸低気圧などの影響で積雪することが珍しくなく、1961・1968・1971年にはダート開催への変更を余儀なくされています。
初のダート開催となった1961年は、全馬が現4歳馬という一戦で、シーザー、ホマレボシなどを退け、シヨウザンが56kgも活かしてクモハタ記念に次ぐ重賞2勝目を果たしました。
また1963年には1800m戦となり、その翌年には4頭ハナ差の大接戦となる中、2番人気のクリライトが重賞初制覇を果たしています。
1970年代:4月下旬~GWの開催に
1971年に再びダート開催となると、その翌年からは大幅に時期が後ろ倒しとなり、4月下旬からゴールデンウィークにかけての開催となります。現在よりも半月ほど早いタイミングという印象でしょうか。
徐々に実績ある馬が出走してくるケースが減ってきて、1970年代前半は、軽斤量の馬が活躍することが増えます。1971年は桜花賞馬【タマミ】が52kgでメジロムサシをやぶり、1972年は牡馬ながら49kgだったダイセンプーが8番人気で勝利、1973年は54kgではあるものの9番人気のインターブレインが1番人気のハクホオショウを下しています。
一方、1970年代後半に入ると、1976年にヤマブキオー、1977年にニッポーキングが58kgで勝っていて、1978年は【シービークイン】(ミスターシービーの母親)が現役最後のレースを制しています。
1980年代:1400mに短縮、GIIに格付け
1981年に、1800 → 1400mと短縮され「短距離戦」となります。中央競馬の重賞路線の多角化の一貫として1980年代に充実した短距離路線、1984年のグレード制施行時は堂々「GII」に格付けされます。
実はこの1984年当時、スプリンターズSは3月の開催だったのですが「GIII」格だったことを思うと、マイルより短い距離での「GI」は存在せず、「GII」も春の京王杯と秋のスワンSしかなかったのです。当時としては、いわば「春のスプリンターの大一番」という印象だったのかも知れません。
そうした事情もあり、初回から続けてきた「スプリングハンデキャップ」から「京王杯スプリングC」と名称を変更のうえ、別定戦に変更ともなっています。
グレード制導入の初回は【ハッピープログレス】、翌1985年には【ニホンピロウイナー】が制するなどGIIに相応しい力強いレースが続き、1分21秒台の決着となった1987~88年には注目馬が制しました。
1990年代:外国馬3連勝、5月中旬開催に
1990年代に入っても短中距離路線の一流馬が出走していた「京王杯スプリングC」。1990年に「スプリンターズS」がGIに昇格して年末開催となると、マイラーにとっては「安田記念」の前哨戦となり、スプリンターにとっては(高松宮杯の短距離戦化までは)春の大一番という位置づけとなりました。
そして、1994年にフランスの【スキーパラダイス】が欧米で活躍した実績を引っ提げて日本に挑戦して人気に応えます。国際競走となった同年には、外国調教馬が5頭も出走、1~4着を独占していて、いわば「春・短距離のジャパンC」かのような強烈なインパクトを残しました。
1995年には、当時はまだ「ドバイワールドカップ」も創設されていなかった「ドバイ」で、ダート戦を圧勝したものの格下と見られていた【ドゥマーニ】がブービー人気で優勝。1着17番人気(単勝56.9倍)、2着ビコーアルファーが15番人気、3着ホクトベガが11番人気ということで、当時はありませんでしたが「3連単」が仮にあれば幾らになっていたのか夢が広がります(^^
更に、1996年にも、武豊騎手騎乗の【ハートレイク】が、国内のタイキブリザードやトロットスターらを制する優勝を遂げ、1994~96年にかけては「海外勢3連覇」と一時代を築きました。
そこから1997年にはタイキブリザード、1998年にはタイキシャトル、1999年にはグラスワンダーと、1分20秒台でのハイレベルな決着になるなど、スーパーG2ともいうべき、非常にハイレベルなレースとなっていました。
この「高松宮記念」がGIに昇格した1996年には、開催時期が半月繰り下がり、今と同じ5月中旬となります。
この頃になると、1400mという距離設定が「高松宮記念(GI・1200m)」をメインとして走ってきた馬の一部にとっては長いため、「1400m以上」を主戦場とする馬の実質的な春緒戦といった様相を呈するようになり、1200・1600mの交差点といった意味合いが少し薄らぎつつあったのかなと思います。
2000年代:GI好走馬が次々と勝利
2000年代に入ると、1分20~21秒台での決着が続きます。2000~01年にかけて【スティンガー】が連覇を果たす一方で、2000年に【グラスワンダー】が連覇を目指して59kgで9着と敗れて以降、2012年まで1番人気が13連敗を喫します。
しかし勝ち馬が必ずしも弱いという訳ではなくて、2003年テレグノシス、2005年アサクサデンエン、2006年オレハマッテルゼ、2008年スーパーホーネットなどといったGI級の馬が名を連ねています。
もちろん、1990年代に比べて21世紀に入ると「GII」の格が少しずつ見劣ってくるため、レースレベルが逓減していくのですが、伝統あるレースとしての維持は見せてきました。
2010年代:1分19秒台が当たり前に
そして、2010年代に入ると、2011年にストロングリターン、2012年にサダムパテックが制するなど、引き続きGIIとしての維持を見せていることに加え、2010年代後半以降は「1分19秒台」での決着が、当たり前といった感じになっていきました。
「(“後の”を多く含みつつ)GI級」が勝ち馬に名を連ねている一方で、ここ最近は、56kgでの勝ち馬が目立っています。また、2000年からの20年間で1番人気は僅か2勝ですが、2017年から外国人ジョッキーが5連覇した時期には、1・2番人気が4勝をするなど、トレンドが少し変わってきているのかも知れません。
ここで、2016年以降の「レースレーティング」をみていきます。
年 | レースR | 勝ち馬 |
---|---|---|
2016 | 111.25 | サトノアラジン |
2017 | 111.25 | レッドファルクス |
2018 | 111.75 | ムーンクエイク |
2019 | 111.75 | タワーオブロンドン |
2020 | 111.50 | ダノンスマッシュ |
2021 | 111.25 | ラウダシオン |
2022 |
一方、上の表にある通り、レースレーティングは111ポンド台で推移しています。「GII:110ポンド」が目安ですから、「ギリギリGII」を保っているというのがオフィシャルなレーティングとなります。
注目すべきはその「偏差の小ささ」でしょう。111ポンドという絶妙なところに2016年以降、固まって分布しています。1ポンド以内にここまで連続して収まるのは、JRAの100近くある重賞の中でも珍しい事です。この「111ポンドでの安定」をプラスと見るかマイナスと見るかは議論が分かれそうです。
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