【はじめに】
この記事では、私の「Rxヒット指標」に基づき歌手/アーティストのヒット曲を振り返っていきます。今回取り上げるのは「森進一」さんです。
森 進一(もり しんいち、1947年〈昭和22年〉11月18日 – )は、日本の歌手、作曲家、社会福祉活動家。本名・森内 一寛(もりうち かずひろ)。山梨県甲府市生まれ鹿児島県育ち。身長167cm、体重49kg、血液型はO型。
息子にONE OK ROCKのTakaとMY FIRST STORYのHiroを持つ。人物
森進一
演歌歌手という括りで扱われることが多いものの、本人は演歌歌手と呼ばれるのは不愉快とし、流行歌手であるとしている。そのため、演歌の枠に捉われず常に新たな音楽の領域に挑戦し続ける幅広い音楽性の持ち主でもある。一聴して森と分かる、独特のハスキーボイスを特徴とする。
「演歌の枠にとらわれず、いい音楽であれば何の障壁もなく耳を傾け、自分の世界に取り込みたい」という彼の思いに共感する松本隆、大瀧詠一、長渕剛、小室哲哉など他ジャンルのアーティスト達と積極的に交流し、提供曲を精力的に歌い、発表した。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
Rxヒット指標にみる「森進一」さんの人気曲
まず、私(Rx)のヒット指標にみる「森進一」さんの代表曲をみていきましょう。こちらです(↓)
集計方法や企画の主旨については、下の記事に纏めてありますので初見の方はぜひご覧ください(↓)
デビュー曲の『女のためいき』からミリオン相当のヒットを飛ばし、昭和の中盤から後半で一線を張り続け、平成の終わりまで『NHK紅白歌合戦』への出場記録を重ね続ける息の長さは屈指のものでした。
3位:150万pt(1967年)『命かれても』
1965年(昭和40年)、フジテレビ系の素人参加歌番組『リズム歌合戦』に出場して優勝。チャーリー石黒にその才能を見出され、渡辺プロダクション(ナベプロ)に所属した。芸名の名付け親はハナ肇であり、本名の「森内」と「一寛」から1字ずつ取り、渡辺晋のシンを進と読み替えて合成した氏名であった。
元は普通の声であり、ルックスも良く、また森が実家へ仕送りをする必要もあったことからポップス系でデビューさせる予定でスクールメイツ入りさせた。しかし個性が弱いとして、チャーリー石黒は売れるためには声を潰し、演歌を歌うしかないと森と渡辺プロを説得。
翌1966年、猪俣公章作曲、吉川静夫作詞による「女のためいき」でデビューした。「恍惚のブルース」でほぼ同時期にデビューした青江三奈と共にため息路線として売り出された。猪俣はその後の彼の数多くの代表曲を手がけることになる。美声歌手が主流だった当時の歌謡界において、かすれ声で女心を歌う森のデビューは衝撃的であり、世間からは「ゲテモノ」「一発屋」と酷評された。しかしその後も「命かれても」「盛り場ブルース」と立て続けにヒットを重ね、ついにはデビュー3年目の1968年、ヒット曲「花と蝶」で『第19回NHK紅白歌合戦』に初出場を果たした。
森進一
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
1位:320万pt(1969年)『港町ブルース』
円熟期
( 同上 )
1969年(昭和44年)には全国の港町の情景を織り込んだ「港町ブルース」を発表。22歳の若さで第11回日本レコード大賞・最優秀歌唱賞を受賞、さらに出場2回目にしてこの年の『第20回NHK紅白歌合戦』のトリを務めた。
1971年(昭和46年)には「おふくろさん」(作詞・川内康範、作曲・猪俣公章)が発売され、同曲で2度目の最優秀歌唱賞を受賞した(第13回日本レコード大賞)。また、『第22回NHK紅白歌合戦』にも同曲で出場し、3年連続でトリを務めた。
発売されて2週間余りでオリコンチャートのベストテンに初登場し、5週にわたり1位にランクインされるなど、森のシングルでは最高の売上を記録し、ミリオンセラーとなった(なお売上については、230万枚、250万枚との報道もある)。
同年開催の「第11回日本レコード大賞」では大賞の最有力候補と目されたが、1票差で佐良直美の「いいじゃないの幸せならば」に敗れ、最優秀歌唱賞を受賞した。「第2回日本有線大賞」では大賞を受賞している。有線大賞は前年の「盛り場ブルース」に次いで2年連続である。「第20回NHK紅白歌合戦」では2回目の出場にして白組のトリを務めた。
港町ブルース
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
2位:260万pt(1974年)『襟裳岬』
1974年(昭和49年)にはフォークソング全盛期の黄金コンビ、岡本おさみ作詞、吉田拓郎作曲の「襟裳岬」を発表。同曲で第16回日本レコード大賞、第5回日本歌謡大賞など多くの音楽賞を獲得し、『第25回NHK紅白歌合戦』で自身初の大トリを務めた。この「襟裳岬」との出会い以降、森の歌の世界は転換期を迎え、通常の演歌歌手にはない趣向を持ち始める。
森進一
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
『襟裳岬』(えりもみさき)は、1974年1月15日に発売された森進一の29枚目のシングル。作詞は岡本おさみ、作曲は吉田拓郎というフォーク全盛期を代表するコンビの作品。
累計では約100万枚または130万枚のレコード売上を記録した。森は本作で1974年の第16回日本レコード大賞と、第5回日本歌謡大賞の大賞をダブル受賞。ライバルの五木ひろしに先を越されていただけに、その喜びようは尋常ではなかったという。
襟裳岬 (森進一の曲)
さらに同年の第25回NHK紅白歌合戦においてこの曲で4回目の白組トリおよび初の大トリを飾った。奇しくも紅組トリも島倉千代子の同名異曲の「襟裳岬」(1961年)であった。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
1・2位は今でも非常に著名な楽曲ですが、暫定3位が『命かれても』なのが少し意外でした。現代の世間知名度では『おふくろさん』や『冬のリヴィエラ』などが続くのかと思うのですが、デビュー当時のレコード売上(初速)が占める部分が大きかったのかも知れませんね。
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