【はじめに】
重賞競走の歴史を振り返りながら季節の移ろいを感じる「競馬歳時記」。今回は「東海ステークス」の歴史をWikipediaと共に振り返っていきましょう。
東海ステークス(とうかいステークス)は、日本中央競馬会(JRA)が中京競馬場で施行する中央競馬の重賞競走(GII)である。競馬番組表上の名称は「東海テレビ杯 東海ステークス(とうかいテレビはい とうかいステークス)」と表記している。
寄贈賞を提供する東海テレビ放送は、名古屋市に本社を置く放送局。
東海ステークス
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
前身①:「ウインターS」(1984~1999年)
現在の「東海S」の公式な前身としては、1984年にダート重賞として格付けされた「ウインターS」が該当します。ちょうど現在の「チャンピオンズC」に該当する12月の中京開催で行われていました。
東海ステークス
- 1984年 – 4歳以上の馬による重賞競走(GIII)として「ウインターステークス」の名称で創設、中京競馬場のダート2200mで施行。
- 1985年 – 全国指定交流競走に指定。
- 1987年 – 施行日を愛知杯と交換。
- 1989年 – 混合競走に指定され、外国産馬が出走可能になる。
- 1996年 – 特別指定交流競走に指定され、地方競馬所属馬が2頭まで出走可能となる。
- 1997年
- 地方競馬所属馬の出走枠が5頭に拡大。
- GIIに昇格。
- ダート競走格付け委員会によりダートグレード競走に指定、統一GIIに格付けされる。
- 名称を「東海テレビ杯 東海ウインターステークス」に変更
- 1999年 – この年に限り小倉競馬場のダート2400mで施行。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
今よりもはるかにダートの中長距離が隆盛を極めていた時代、1980年代は2200m、そして1990年から(東海Sとなってからの2009年まで)は2300mで行われていました。
回数 | 施行日 | 競馬場 | 距離 | 優勝馬 | 性齢 | 所属 | タイム |
---|---|---|---|---|---|---|---|
第1回 | 1984年12月9日 | 中京 | 2200m | アンドレアモン | 牡5 | JRA | 2:18.1 |
第2回 | 1985年12月8日 | 中京 | 2200m | チェリーフット | 牡3 | JRA | 2:19.1 |
第3回 | 1986年12月7日 | 中京 | 2200m | ライフタテヤマ | 牡4 | JRA | 2:19.7 |
第4回 | 1987年12月6日 | 中京 | 2200m | クラウンエクシード | 騸6 | JRA | 2:19.9 |
第5回 | 1988年12月4日 | 中京 | 2200m | ソダカザン | 牡4 | JRA | 2:19.6 |
第6回 | 1989年12月3日 | 中京 | 2200m | マルブツスピーリア | 牡3 | JRA | 2:21.2 |
第7回 | 1990年12月16日 | 中京 | 2300m | ナリタハヤブサ | 牡3 | JRA | 2:25.3 |
第8回 | 1991年12月15日 | 中京 | 2300m | ナリタハヤブサ | 牡4 | JRA | 2:24.5 |
第9回 | 1992年12月20日 | 中京 | 2300m | チェリーコウマン | 牝3 | JRA | 2:25.9 |
第10回 | 1993年12月18日 | 中京 | 2300m | ローリエアンドレ | 牡4 | JRA | 2:27.5 |
第11回 | 1994年12月17日 | 中京 | 2300m | ライブリマウント | 牡3 | JRA | 2:27.1 |
第12回 | 1995年12月16日 | 中京 | 2300m | キョウトシチー | 牡4 | JRA | 2:31.8 |
第13回 | 1996年12月14日 | 中京 | 2300m | トーヨーシアトル | 牡3 | JRA | 2:24.9 |
第14回 | 1997年11月30日 | 中京 | 2300m | アブクマポーロ | 牡5 | 船橋 | 2:24.8 |
第15回 | 1998年12月6日 | 中京 | 2300m | マチカネワラウカド | 牡4 | JRA | 2:25.6 |
第16回 | 1999年12月5日 | 小倉 | 2400m | マイターン | 牡4 | JRA | 2:33.6 |
歴代勝ち馬をリストアップしましたが、実質的にはこの「ウインターS」が、2000年代に入って『ジャパンCダート(現・チャンピオンズC)』となった訳ですから、直接的な前身とすべきかは微妙ですが、ひとまずここはオフィシャルな見解に従っておきたいと思います。
1990年代に【ナリタハヤブサ】が連覇を達成すると、平成1桁の後半あたりからダートの強豪が揃ってくるようになり、1997年には地方勢初優勝となる【アブクマポーロ】が見えます。帝王賞2着、大井のレースを勝つもオールカマーでブービーと大敗した同馬が中央の交流重賞(東海ウインターS)を制覇していました。
(参考)「ウインター」を冠した中山・阪神の条件戦
ちなみに、ウィキペディアには記載がありませんが、netkeiba.comさんのデータベースなどで「ウインター」と調べると、古くは1950年代からそういった名前の条件戦が開催されてきたことが分かります。
1950年代に12月中山開催で行われていた「ウインターH」は、ブレツシングやタニカゼといったそこそこ著名な馬が勝っており、1960年代になると同じ12月に阪神開催で「ウインターH → ウインターC」が開催されるようになります。地味なところとして、1972年にはまだ平地を走っていた頃の【グランドマーチス】が3着に入っていたりもします。
この東西での「ウインター」を冠した条件戦は1983年まで四半世紀にわたり続き、その翌年から「ウインターS」という重賞が新設されたことを考えると、条件戦時代は殆どが芝開催だったとはいえ、紆余曲折ありながら1950年代まで遡れるという見方ができるかもしれません。
前身②:「東海S」という名の条件戦
前述の通り、2000年に「ウインターステークス」が「東海ステークス」と名称変更のうえ統合されたが、1999年までは「東海ステークス」という名称の特別競走が別に中京競馬場で行われていた。
出典で確認できる1986年から1989年までは準オープンクラス(1400万下)の競走として芝で行われ、1991年よりオープンに変更後はダート1700mで行われていた。1993年は中京競馬場の改修工事によるスケジュールの都合で開催されなかった。
( 同上 )
「ウインターS」ともう一つの前身としては、「東海S」という名を冠した条件戦が行われてきた歴史があります。ウィキペディアの表から「ダート開催」時代を抜き出すと、
施行日 | 競馬場 | 距離 | 条件 | 優勝馬 | 性齢 | タイム |
---|---|---|---|---|---|---|
1989年7月8日 | 中京 | 芝1800m | 1400万下 | ホウエイソブリン | 牡6 | 1:47.6 |
1991年6月29日 | 中京 | ダート1700m | オープン | ワンモアニードユー | 牡5 | 1:44.2 |
1992年7月4日 | 中京 | ダート1700m | オープン | ヘイセイシルバー | 牡4 | 1:43.5 |
1994年7月3日 | 中京 | ダート1700m | オープン | プロストライン | 牡5 | 1:45.5 |
1995年7月2日 | 中京 | ダート1700m | オープン | チアズアトム | 牡6 | 1:43.5 |
1996年6月2日 | 中京 | ダート1700m | オープン | スピードアイリス | 牝5 | 1:45.3 |
1997年6月8日 | 中京 | ダート1700m | オープン | エムアイブラン | 牡5 | 1:44.8 |
1998年6月14日 | 中京 | ダート1700m | オープン | パーソナリティワン | 牡4 | 1:44.3 |
1999年6月13日 | 中京 | ダート1700m | オープン | キョウトシチー | 牡8 | 1:45.1 |
1991年に条件線からダートのオープン特別となったことが分かります。この頃は6~7月の開催となっていたことも興味深いです。そして『東海ウインターS』という名称の重賞が開催されるようになった1997年以降をみると、エムアイブランやキョウトシチーといった懐かしのダート馬の名も見えますね。
ちなみに、再びnetkeiba.comさんのデータベースで「東海」と調べてみると、古くは1960年代に条件戦が開催されていた記録がありまして、1970年代からは毎年開催されるようになって、ハシコトブキやヤマニンスキーといったオープンクラスの馬の名も見えるようになっています。なお、1989年までは基本的に「東海S」という条件戦は芝での開催であったことも申し添えておきましょう。
2000~12年:5月開催の「東海S」
2000年からは5月開催となると同時に、流石に5月に「ウインター」は無いだろうということか「東海S」と名称変更されています。そして、少しずつ条件も変わっていきます。
第17回 | 2000年5月21日 | 中京 | 2300m | ファストフレンド | 牝6 | JRA |
第18回 | 2001年5月20日 | 中京 | 2300m | ハギノハイグレイド | 牡5 | JRA |
第19回 | 2002年5月19日 | 中京 | 2300m | ハギノハイグレイド | 牡6 | JRA |
第20回 | 2003年5月25日 | 中京 | 2300m | ゴールドプルーフ | 牡8 | 名古屋 |
第21回 | 2004年5月23日 | 中京 | 2300m | アンドゥオール | 牡5 | JRA |
第22回 | 2005年5月22日 | 中京 | 2300m | サカラート | 牡5 | JRA |
第23回 | 2006年5月21日 | 中京 | 2300m | ハードクリスタル | 牡6 | JRA |
第24回 | 2007年5月20日 | 中京 | 2300m | メイショウトウコン | 牡5 | JRA |
第25回 | 2008年5月25日 | 中京 | 2300m | ヤマトマリオン | 牝5 | JRA |
第26回 | 2009年5月24日 | 中京 | 2300m | ワンダースピード | 牡7 | JRA |
第27回 | 2010年5月23日 | 京都 | 1900m | シルクメビウス | 牡4 | JRA |
第28回 | 2011年5月22日 | 京都 | 1900m | ワンダーアキュート | 牡5 | JRA |
第29回 | 2012年5月19日 | 京都 | 1900m | ソリタリーキング | 牡5 | JRA |
2000年に5月開催となると、2009年までは中京ダート2300mでの開催でしたが、中京競馬場の改装工事によって2010年から3回連続で京都競馬場での代替開催となると、そこで一気に中距離重賞となっていきます。この2012→13年が最後の大きな転換点となりました。
ちなみに、2003年には1位入線の【ディーエスサンダー】が3位降着となり、公営愛知の【ゴールドプルーフ】が繰り上がりで優勝するといった事態も起きています。今から20年ほど前の出来事です。
前身③:1月の関西ダート重賞「平安S」(~2012年)
平安ステークス:距離も創設以来ダート1800mで定着していたが、2013年よりダート1900mに変更され、施行時期も1月から5月に移された。
平安ステークス
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
「東海S」と開催時期を入れ替える形となったのが、今は5月に開催されている「平安S」です。かつては「帝王賞」の前哨戦だったこともあって5月開催の「東海S(←東海ウインターS)」はG2でしたが、この「平安S」はフェブラリーSの前哨戦だった時代の流れから今でも「G3」の格付けが据え置きです。
回数 | 施行日 | 優勝馬 | 性齢 |
---|---|---|---|
第1回 | 1994年1月15日 | トーヨーリファール | 牡4 |
第2回 | 1995年1月16日 | ライブリマウント | 牡4 |
第3回 | 1996年1月15日 | アドマイヤボサツ | 牡6 |
第4回 | 1997年1月6日 | トーヨーシアトル シンコウウインディ | 牡4 |
第5回 | 1998年1月6日 | エムアイブラン | 牡6 |
第6回 | 1999年1月10日 | オースミジェット | 牡5 |
第7回 | 2000年1月23日 | オースミジェット | 牡6 |
第8回 | 2001年1月21日 | マンボツイスト | 牡6 |
第9回 | 2002年1月20日 | スマートボーイ | 牡7 |
第10回 | 2003年1月26日 | スマートボーイ | 牡8 |
第11回 | 2004年1月25日 | タイムパラドックス | 牡6 |
第12回 | 2005年1月23日 | ヒシアトラス | 牡5 |
第13回 | 2006年1月22日 | タガノゲルニカ | 牡4 |
第14回 | 2007年1月21日 | メイショウトウコン | 牡5 |
第15回 | 2008年1月27日 | クワイエットデイ | 牡8 |
第16回 | 2009年1月25日 | ワンダースピード | 牡7 |
第17回 | 2010年1月24日 | ロールオブザダイス | 牡5 |
第18回 | 2011年1月23日 | ダイシンオレンジ | 牡6 |
第19回 | 2012年1月22日 | ヒラボクキング | 牡5 |
競馬場も距離も名称も違うのですが、1月に関西地区で行われる「フェブラリーS」の前哨戦という位置づけとしては、むしろこの時期の「平安S」の方が実質的な前身かも知れません。
2013年~現在:1月開催の「東海S」
1月開催に移った「東海S」は2014年から正式に「フェブラリーS」のステップレースとなりました。しかし、かつての「平安S」がG3だったように、この「東海S」は中央競馬唯一のG2競走でありながらそのレーティングは非常に厳しく、国際的なG2の目安とされる110ポンドを一度も超えることが出来ずにここ数年を過ごしています。
第33回 | 2016年1月24日 | 中京 | 109.00 | アスカノロマン | 牡5 |
第34回 | 2017年1月22日 | 中京 | 108.75 | グレンツェント | 牡4 |
第35回 | 2018年1月21日 | 中京 | 103.50 | テイエムジンソク | 牡6 |
第36回 | 2019年1月20日 | 中京 | 110.00 | インティ | 牡5 |
第37回 | 2020年1月26日 | 京都 | 108.25 | エアアルマス | 牡5 |
第38回 | 2021年1月24日 | 中京 | 108.75 | オーヴェルニュ | 牡5 |
第39回 | 2022年1月23日 | 中京 | 109.25 | スワーヴアラミス | 牡7 |
立場が入れ替わった結果、帝王賞の前哨戦となった「平安S(G3)」の方が、フェブラリーSの前哨戦である「東海(G2)」よりも実質的なレースレーティングでは上回ってしまう『逆転現象』が起きてしまっています。これは由々しき事態だと個人的には捉えています(↓)
東海テレビさんの社杯であることなどから中々降格は出来ませんし、一応国際的な「降格」基準には至らないものの、実質的なレーティングは『G3』のど真ん中という年が続いています。そもそも強豪は、G2であっても「東海S」には出走せず、むしろ交流G1か海外に挑戦してしまうことを考えると、そもそもこの1月開催への移転が失敗だったのではないかと思えてきてしまうほどです。
令和の時代のダート路線の拡充にあたって、『G2』というこの格付けがもっと活かされることを切に願っております。そうしなければ、どこかで『G3』への降格を検討しなければならないほどの劣化が進んでしまいかねないと危惧しています。
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