競馬歳時記【10月5週】「スワンS」

【はじめに】
重賞競走の歴史を振り返りながら季節の移ろいを感じる「競馬歳時記」。今回は「スワンS」の歴史をWikipediaと共に振り返っていきましょう。

スワンステークスは、日本中央競馬会 (JRA) が京都競馬場で施行する中央競馬重賞競走GII)である。2021年の第64回より競馬番組表での正式名称は「MBS賞 スワンステークス」と表記される。

スワンステークス
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

昭和時代:中央の池に白鳥を買った翌1958年に創設

  • 1958年 – 5歳以上の馬によるハンデキャップの重賞競走として創設、京都競馬場の芝1800m(外回り)で施行。
  • 1959年 – 「皇太子殿下御成婚祝賀競走」の副称をつけて施行。
  • 1965年 – 名称を「関西テレビ放送賞 スワンステークス」に変更。
  • 1984年
    • グレード制施行によりGIIに格付け。
    • 出走資格を4歳以上に変更。
    • 混合競走に指定、外国産馬が出走可能になる。
    • 名称を「スワンステークス」に戻す。

1950年代:15年ぶり大スタンドの屋根復活と同時期に創設

日本語版ウィキペディアの「スワンS」の記事を読んでも、1958年に創設された経緯などが殆ど触れられていないため、そこを間接的に補足しておきます。

1936年(昭和11年)には鉄筋コンクリート製の収容人員25000名を誇る大スタンドが竣工したが、戦時中の金属回収によって屋根が撤去され、1958年(昭和33年)に復旧するまでスタンドのほとんどに屋根がなかった時期がある。

1943年(昭和18年) – 金属類回収令により、大スタンドの屋根を撤去。
1958年(昭和33年) – 戦時中に解体された大スタンドの屋根を復旧が完了。

京都競馬場
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

阪神競馬場よりも優先して関西で整備され、1958年の大規模な改修によって大スタンドの屋根が15年ぶりに復旧された京都競馬場。「スワン」に関してこんな記述が『優駿』経由で見つけられました。

馬場中央の池
馬場中央の池馬場の中央にある池は、かつて競馬場の周辺一帯に存在した巨椋池の名残りを残した池であるとされている。中央に浮かぶ島は弁天島と呼ばれ、弁財天が祀られている。1999年(平成11年)に京都府によって池中の生物の生態調査が実施されている。
池に住む白鳥1957年(昭和32年)6月に動物商から8羽を購入したのが始まりで、1963年(昭和38年)からは黒鳥も導入された。

( 同上 )

結果的にスタンドが「グランドスワン」とか「ビッグスワン」とか呼ばれることとなる京都競馬場ですが、そもそもの白鳥の由来はここに帰着するそうです。そうして、白鳥8羽が購入された翌年の春に、「スワンS」というレースが創設されます。

第1回は1958年4月13日、7頭立てで行われ、前年の牝馬2冠馬の【ミスオンワード(61kg)】や、菊花賞馬の【ラプソデー】が敗れ、55kgのナンバイチバンが優勝して幕を開けます。この当時はまだ1800mの中距離戦でした。

そして、第2回は9頭立ての最低人気【ゴールマイト】が3連勝で重賞初制覇。なお、7着にはアラブ馬の【シユンエイ】がおり、サラブレッド挑戦2戦目は50kgという軽量ながら力負けを喫しています。

1960年代:関西の天皇賞(春)前哨戦として

1966年までは4月前半の開催で、4月29日に開催が固定されていた天皇賞(春)の実質的には前哨戦という位置づけでした。ただ、「スワンS」は天皇賞(春)のほぼ半分の距離ということもあって、本番に直結するというより、中距離に適性のある馬が強さを見せる重賞という形だったと思います。

第3回1960年4月17日京都ミンシユウ牡41.52.9
第4回1961年4月9日京都コダマ牡41:52.5
第5回1962年4月8日京都シーザー牡51:50.6
第6回1963年4月10日京都シモフサホマレ牡41:53.1
第7回1964年4月12日京都メイズイ牡41:55.8
第8回1965年4月11日阪神アサホコ牡51:51.8
第9回1966年4月17日京都バリモスニセイ牡51:51.3
第10回1967年5月7日京都エプソム牡51:52.2
第11回1968年2月25日京都リユウフアーロス牡51:51.9
第12回1969年4月20日京都ダイイチオー牡41:50.2

第3回までは、今でいう「G3」級の渋い馬が優勝していましたが、第4回からは天皇賞・春との間隔が中2週となり一流馬の挑戦が増えます。第4回は2冠馬【コダマ】、第5回は64kgで【シーザー】が、第7回も2冠馬【メイズイ】が62kgなど、斤量が50kg台後半から60kg台前半という実力を買われた馬が勝ち馬に名を連ねています。

そして、1967年は、桜花賞と皐月賞が同日に行われる変則日程となる中、天皇賞の翌週(5月)開催となり、その後、2月、4月と春競馬の時期を行ったり来たりします。

1970年代:晩冬を経て5月開催、マイル戦に

1970年代に入って、開催条件が変化していきます。1970年から3年間は晩冬の開催となり、その間に中距離からマイルに短縮されます。実質的に「天皇賞(春)」の前哨戦という位置づけが解かれたことが契機になったのではないでしょうか。

第13回1970年2月15日1800mリキエイカン牡41:50.9
第14回1971年1月31日1800mフアストバンブー牡41:53.3
第15回1972年1月30日1600mタカラローズ牝41:39.4
第16回1973年5月13日1600mフセノスズラン牝51:36.5
第17回1974年5月19日1600mフジノタカワシ牡41:36.3
第18回1975年5月11日1600mイットー牝41:36.5
第19回1976年5月16日1600mロングフアスト牡41:35.9
第20回1977年5月15日1600mフローカンボーイ牡41:36.3
第21回1978年5月7日1600mリキタイコー牡41:35.9
第22回1979年5月6日1600mホクトボーイ牡61:36.2

この時期になると実績馬が出走することはグッと減り、【リキエイカン】がこのレースを勝って春には天皇賞を制していますが、寧ろ例外的で、マイル~中距離を主戦場とする馬が中心となっていきます。著名なところでいくと、『華麗なる一族』の中興の祖となった【イットー】がいます。

1973年から5月開催として、天皇賞(春)の後の関西マイル王決定戦的な様相を呈するようになりますが、1979年には61kgの【ホクトボーイ】が、62kgのエリモジョージを下して優勝するなど、関西ではそれなりの実績をもった重賞として見做されてきました。

1980年代:秋の1400m・G2に変化

1980年代に入ると、短距離・マイル路線の拡充が進みます。1980年の代替開催時は2000mで行われたことを思うとここまでは中距離寄りだったのかも知れません。1983年には黄金の馬こと【ハギノカムイオー】がこのレースを年明け緒戦に叩いて、宝塚記念を制しています。

第23回1980年3月9日小倉2000mアグネスプレス牡52:06.8
第24回1981年5月10日京都1600mサツキレインボー牡41:35.0
第25回1982年5月16日京都1600mアグネスベンチャー牡41:34.2
第26回1983年5月15日京都1600mハギノカムイオー牡41:35.1
第27回1984年10月28日京都1400mニホンピロウイナー牡41:21.4
第28回1985年10月27日京都1400mコーリンオー牡41:22.2
第29回1986年10月26日京都1400mニッポーテイオー牡31:21.5
第30回1987年11月1日京都1400mポットテスコレディ牝41:22.8
第31回1988年10月30日京都1400mシンウインド牝41:23.0
第32回1989年10月29日京都1400mバンブーメモリー牡41:21.7

1984年になると、創設以来初めて秋開催となります。秋にマイルのG1「マイルCS」が創設され、その前哨戦に位置付けられると共に、距離がマイルを切る1400mの短距離の部類に入ることとなります。

古馬の出走可能な短距離G2に、春の京王杯SCとこのスワンSが抜擢。シャダイソフィアやハッピープログレスといった馬を相手に【ニホンピロウイナー】がレコード勝ちを収め、しかも58kgを背負って2着に付けた着差が7馬身差というのは極めて衝撃的でした。

その後も、ニッポーテイオーやバンブーメモリーといったG1ホースがこのレースを勝っています。現在以上に短距離G2の格式があった頃ということもあって、昭和時代の最後にその地位を確立したのです。

平成・令和時代:徐々に1400mが個性に

1990年代:短距離・マイル両方の交差点に

1990年代に入ると年末に「スプリンターズS(G1)」が開催されるようになり、11月の「マイルCS」と共にG1の実質的な前哨戦、交差点となっていきます。特に1993年以降の勝ち馬は豪華で、G1級でないと勝てないレベルのレースとなっていきます。

第33回1990年10月28日京都ナルシスノワール牡41:21.4
第34回1991年10月26日京都ケイエスミラクル牡31:20.6
第35回1992年10月31日京都ディクターガール牝61:21.4
第36回1993年10月30日京都シンコウラブリイ牝41:21.9
第37回1994年10月29日阪神サクラバクシンオー牡51:19.9
第38回1995年10月28日京都ヒシアケボノ牡31:19.8
第39回1996年10月26日京都スギノハヤカゼ牡31:19.3
第40回1997年10月25日京都タイキシャトル牡31:20.7
第41回1998年10月31日京都ロイヤルスズカ牡51:21.9
第42回1999年10月30日京都ブラックホーク牡51:20.2

サクラバクシンオーとタイキシャトルというこの路線の超一流が見参し優勝を誇っただけで、このG2の充実ぶりが窺えますが、当時は今と比べて前哨戦に当たるレースが少なかったからと言えるでしょう。

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2000年代:中2週で実績馬は避ける傾向に

スプリンターズSの開催が9月に移り、香港への遠征が今ほど活発でなかった2000年代に入ると、阪神Cの創設までは「マイルCS」の前哨戦という位置づけのみとなります。その結果……スプリンターズSを使わず、中2週でマイルCSを戦うという限定されたローテーションの馬は激減。G1級の出走は減って、レースにやや陰りが見え始めます。

第43回2000年10月28日ダイタクヤマト牡61:20.4
第44回2001年10月27日ビハインドザマスク牝41:20.8
第45回2002年10月26日ショウナンカンプ牡41:19.8
第46回2003年11月1日ギャラントアロー牡31:20.2
第47回2004年10月30日タマモホットプレイ牡31:21.9
第48回2005年10月29日コスモサンビーム牡41:21.5
第49回2006年10月28日プリサイスマシーン牡71:20.3
第50回2007年10月27日スーパーホーネット牡41:20.7
第51回2008年11月1日マイネルレーニア牡41:19.9
第52回2009年10月31日キンシャサノキセキ牡61:20.3

勝ちタイムは1分20秒を切ることも稀になり、2000年から11年連続で1番人気は敗戦。しかも2003年から4年連続で2桁人気が優勝する始末。勝ち馬の名を見れば、後の実力馬などもいるのですが、90年代の華やかさは大きくそがれる結果となっていきます。

2010~20年代:阪神Cや香港国際競走の非国内G1路線へ

2010年代に入ると、「スワンS」を取り巻く環境にも大きな変化が訪れます。具体的には、

  • 香港国際競走への遠征の活発化
  • 「富士S」のG2昇格に伴う『短距離マイル重賞』の拡充

が大きく、結果的には「1400m」というレース距離が『特徴』として浮かび上がるようになっていきます。1200mならスプリンターズS、1600mなら富士SからマイルCS/香港マイル が素直なステップとなっていった結果、1400mに特化した馬が「富士S → 阪神C」というローテーションも含めたローテーションの変化を辿っていくこととなったのです。

レースR勝ち馬(参考)
富士S
2016110.00サトノアラジン111.50
2017111.75サングレーザー113.50
2018111.00ロードクエスト111.75
2019111.00ダイアトニック112.25
2020113.25カツジ114.75
2021113.50ダノンファンタジー113.50
2022

2016年以降のレースレーティングをみても、「G2の目安:110ポンド」を何とか超えるという時代を経て、2020年代はようやく113ポンド台まで回復してきました。しかし、G3の時代から「富士S」には後塵を拝する結果となっています。

実際、マイルCSが創設されたばかり、或いはスプリンターズSが年末開催だった時代の名残でこの位置に据えられていますが、既に前哨戦としての位置づけは「富士S」が兼ねていると思えば、そろそろ見直しの時期に差し掛かってきているのかなとも思いました。

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